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Tokky
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ファン歴30年のボクシングファン。当メディア運営者のTokkyです。選手のセカンドキャリア、各界のファン達を始め人にフォーカスした独自の切り口での取材記事を発信しております!

優しく有能な保育園長 岡部繁の今

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皆様こんにちは。
拳人のセカンドキャリア#5はこのお方。

辰吉丈一郎の挑戦を受けたチャンピオンとして多くのボクシングファンに知られる、元日本バンタム級王者の岡部繁さんです。岡部さんとは共通の友人を通じて何度かお会いしてますが、いつもボクシングトークONLY。今回はセカンドキャリアとしての現職のお話をお伺いすべく、現在勤務されている社会福祉法人大洋社の大森保育園にお招きいただいての取材!その一部始終をどうぞ。

こういう方々に読んで欲しい
  • 現役を引退したボクサー達のセカンドキャリアを応援したい!
  • 保育園長の仕事に興味があり仕事内容を知りたい!
  • 異業種への転職も多い時代。未経験業種へ転職しての成功例に興味アリ!
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岡部繁プロフィール

岡部繁
生年月日:1968年3月15日生まれ
プロ戦績:21戦17勝8KO3敗
第49代日本バンタム級王者
現職:社会福祉法人大洋社 大森保育園 園長

主な経歴
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中学時代

近所だったセキジムに通い始める

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高校時代 

自宅が千葉に引っ越した為、ボクシングは中断

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プロデビュー

1987.3.10 真木富治に1回TKO勝ちでプロデビュー

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日本バンタム級タイトル獲得

1990.2.17 クラッシャー三浦に判定勝ちでタイトル獲得

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辰吉丈一郎戦

1990.9.11  二度目の防衛戦で辰吉丈一郎に4回TKO負け

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ラストファイト

1992.2.27  アダン・アビレスに判定勝ちで現役引退

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商社に入社

商社マンとして勤務

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現職に入社

社会福祉法人大洋社に入社

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園長職に就任

現職にて大森保育園の園長職に就任

ボクシングとの出会い

では岡部さんがボクシングを始めたきっかけからデビューまでの経緯をお聞かせください。

「元々体が弱かったんです。小学校6年のうち3分の1は休んだ少年時代でした。生まれた時は大きかったのに小学校からはクラスでも背が小さい方でひ弱。このままじゃダメだ!腕っぷしに力を付けたいと思い、近くにあったセキジムに入りました」

ご両親からの勧めではなく、自分を変えたいとご自身で考えての行動だったのですね。

「その時はプロを目指すまでは考えておらず、体力作りが目的のジムワークでした。そしたら2歳上の先輩とスパーリングをやらされて《こっちはヘッドギア無しでいいぜ》と見下されたので1発当ててやろう!と頑張りましたが当たらずボコボコにされて…悔しくて練習してるうちにコツを掴んで強くなっていく自分が居て、ボクシングが面白くなって来たんです」

それでもまだ、がっつりのめり込むまでは行かない感じですかね?

「はい。千葉へ引っ越したので高校時代はサーフィンの方が楽しくてサーフィンに熱中してましたね。進学せずに働く道を選ぶことになり、プロサーファーかプロボクサーのどちらかの選択でした。サーファーの大会に出たら弟は決勝まで行ったのに僕は予選落ちだったので^^サーフィンよりボクシングの方が上を目指せる見込みがあると考えてプロボクサーの道に進みました」

振り返る現役時代の思い出

21戦17勝8KO3敗の戦績を残された現役時代を振り返り、思い出深いエピソードなどお聞きしたいです。

・自分は試合をすれば勝つ!
・父親の熱烈な応援
・横田広明戦でのリベンジ
・関会長からの叱咤
・薬師寺保栄戦で160cmとの誤情報!
・今思う辰吉丈一郎戦

自分は試合をすれば勝つ!

「12戦目で横田広明さんに判定負けしたのが初黒星なんですが、それまでは試合をすれば当たり前に自分が勝つと思ってました。デビュー前からプロ選手をスパーリングで圧倒していて自分は強いんだと自信満々。《自分なら勝てる》そのマインド自体は今も変わりません」

父親の熱烈な応援

「一言で言えば親馬鹿なのですが本当に僕への応援の熱の入れ様がものすごくて。横田さんに負けて初黒星がついた試合後は親父がショックで倒れちゃうんじゃないかって心配なぐらいで。負けた悔しさで試合の翌日からロードワークに行きましたね」

横田広明さんへのリベンジ

「初戦からの経緯と悔しい思いがあったので、リマッチで横田さんに勝てた時はめちゃくちゃ嬉しかったです!A級トーナメント決勝のタイトルがかかってましたが、自分の中では負けた横田さんにリベンジ出来た事の達成感・充実感の方が何倍も大きかったです」

関会長からの叱咤

「関会長は怒ると怖いんです(笑)薬師寺戦の時、体重がいつもより落ちにくくて怒鳴られました^^体重計に乗ったら、OKなのかダメなのか教えてくれず『ガム噛んでろ!!』と言われてガム噛みながら一緒に電車移動するんですが電車の中でも会長が怖いし、体重が大丈夫なのかの不安もあるしで…結果リミットでクリアしたんですが、あの恐怖は忘れられません」

薬師寺保栄さんが160㎝との誤情報!

「薬師寺さんは僕との試合が決まる前はフライ級の選手でした。関会長が『フライ級でやってた選手で今回が初のバンタムらしい。身長160cmでちょこちょこ動く奴だぞ』と言うのでその想定で練習してたんです。そしたら試合前に廊下で僕に挨拶に来る選手がいて『薬師寺です。よろしくお願いします』って言われて…え?デカい!173センチで僕よりデカいって話が違うってなりまして。試合の前ですよ(笑)」

笑っちゃいけないけど面白いです…!

「この事は今まで人に話してませんでした。戦前予想は僕がKOして当然だったのに判定勝ちだったので、言い訳になってしまうから嫌だった。でも、もう解禁でいいかな^^」

いやぁ~薬師寺さんは後に世界王者になり辰吉さんにも勝って4度防衛する凄い選手。そんな相手に勝ってるのですから、言い訳どころか逆に改めて岡部さんの強さを感じるエピソードです。

辰吉丈一郎さんとの試合

「今は彼と戦って良かったと心から思います。辰吉戦が無かったらこうやって声掛けて貰ってないですよ。あの試合があったらです。当時凄いホープだと騒がれてましたけど今なら僕が勝てると思ってました。試合が始まったらジャブが速い!映像で見る速さと対峙して感じる速さは違いましたね」

以前に岡部さんとお会いした時、辰吉さんと再戦を希望してたというお話がありましたね。

「はい。もう一回やれば勝てると思ってた。今振り返れば再戦しても負けてたと思いますけど…ボクサーってそういうものだと思うんです。井上尚弥さんにだって試合をしたら勝てるだろうって思います。実際は違うと分かってますが、そういうマインドなのです。恐怖心よりも自信。でも負けずにずっと勝ち続けている人は、自信よりも恐怖心を持っている人だなとも感じるんですけどね」

現職に就く前の仕事

現役引退から、現職に就かれるまでにされていたお仕事についてお聞きしたいです。

「ゴルフ会員権の販売会社に入りましたがすぐ倒産してしまい、次に商社で3年間働きました。そのどちらもこの大洋社の関係者から紹介されたのがきっかけです。大洋社の施設を関会長が利用していた関係で昔からの知人がいまして」

そうだったのですね。商社での3年間はどんなお仕事をされていたのですか?

「最初の1年は事務機器の販売。次に宝石屋店の出店。最後の1年はアパレル関連の案件を担当してました」

社会人経験が少ない中で、商社の仕事は慣れるまで大変だったんじゃないでしょうか。

「最初は苦労しましたね。年配のおじさんと組んで仕事してたんですけど、今で言うパワハラがありましたよ。僕を無視するんです。口をきかない。もう一人の若者とばかり話して…放置されたんです^^頭に来たので自分で仕事を作って成果を出しました。知り合いに片っ端から電話かけて営業したり、街のビルを端から端まで飛び込み営業してるうちに一人立ちして仕事を回せる様になってました」

凄い!職場でのガン無視って、人によっては病んで休職ですよ。岡部さんのその強さはどこから来てるんですかね。

「ボクシングの減量に比べたら、辛くもなんともないです。今の世の中だったら声を上げれば問題になる行為ですが、当時は自分で何とかするしかないというのもありましたよね」

チャンピオンの言葉ですね。強い。

「そして29歳の時にここ(大洋社)に入社しました。商社を紹介してくれた知人から、ここが保育士不足で困ってるから来てくれないかと相談されまして。このビルの建て替え工事をするタイミングだったのですが、現場の保育士だけでは建て替えに伴う行政とのやりとりまでは出来ないので、岡部に頼もうとなったみたいで」

岡部さんはその様な行政とのやりとりの実務経験はお有りだったんですか?

「ないです(笑)社会人経験を活かして頑張れと言う事だと捉えました。確かに子供達を見てる保育士だけでは行政への補助金の申請や建築業者とのやりとりは出来ないなと思いましたので、その仕事に手探りしながら着手したのが現職への入社経緯です」

保育園長の仕事内容

入社後にご活躍された岡部さんは2年前に大森保育園の園長職に就任。大森保育園は0歳児から5歳児の定員60名の保育園です。園長としての現在の岡部さんのお仕事についてお聞きしました。

保育園長の主な役割

行政とのやり取り・書類作成関連補助金の申請や書類の届け出などをおこないます。行政や運営団体の書類、保育園で必要となる指導計画書や企画書、記録の作成と最終チェックまで。
園の予算計画・事業計画国・自治体から出る補助金等の収入、人件費、教材費、消耗品、光熱費等の支出を計算して予算計画を立てます。スタッフの給与計算まで岡部さんが担当。
人事・採用活動保育士養成校の担当者と話をしたり、ハローワークや派遣会社とのやり取り。採用面接、見学者やボランティアの受け入れに関する対応。
保育士のマネジメント保育士との面談や研修、シフト管理含むマネジメント全般。園の運営方法の見直しから改善施策まで。
保護者対応各行事での挨拶、園児にトラブルがあった場合等に園の責任者として対応。
安全管理園内の設備の点検や給食の検食など、保育園の安全管理も園長の仕事。

かなり幅広く対応されるのですね。岡部さんの1日の流れを簡単に教えていただけますでしょうか。

「朝は園の玄関の掃除と階段のモップ掛けから始まり、午前中は事務処理関係で終ります。今は月末なのでスタッフの給与計算がメイン。あとは保育士さん達との情報共有を目的とした会議があり、並行して行政へ申請する書類がある時はその対応。途中で諸々の電話対応があったり保護者対応があったりして1日が終わります」

スタッフの給与計算も経理担当じゃなくて園長がやるんですね。

「保育園に国からの予算がそこまで下りないので、経理の事務員までは雇えないんです。加えて保育士不足の背景もあり、仮にその予算があるなら一人でも多く保育士を雇いたいとなるので経理会計も園長の担当になります」

園の子供達への思い

岡部さんが直接子供達の面倒を見る時もあるのですか?

「はい。昨年は保育士さんが足りなくて朝の子供達の受け入れから対応してましたし、入社した当初は子供達に体操を教えてました。後は跳び箱、縄跳び、鉄棒。今も声を掛けますし子供達とのコミュニケーションは大切にしてます。元々、子供が好きなので」

元々子供が好きだったので、現職への入社もすんなり決意できた側面もあったのでしょうか。

「入社前にちょうど自分の子供が生まれたタイミングだったんです。可愛くてしょうがなくて^^自分がこんなに子煩悩だとはそれまで全く気付きませんでしたけどね。子供達の笑顔が大好きなんです」

岡部さんが子供達とのコミュニケーションについて大切にしてる思い。モットーについてお聞きしたいです。

「子供達の仲間になる事です。僕は親にはなれない。先生にもなれない。でも《仲間》にはなれると思ってる。"ねぇ僕と友達になろうよ"そういう感覚で接しています。園長職にも様々な考えがあり、母性本能が強くて子供達の親になるんだというマインドの園長職もいらっしゃいます。それもきっと一つの正解。僕は親ではなく仲間。なので先生とは呼ばれません。しげるっぴ~とか呼んでくる子がほとんどです(笑)ヨーヨーやコマなど遊ぶ事は教えられるので、一緒に遊びます」

そう話す岡部さんの笑顔がとても眩しく、子供達が大好きなのだろうなというのが伝わって来ます。

園長職の大変な部分とやりがい

園長職の大変な部分と、やりがいについて詳しく知りたいです。

「一番大変なのは行政とのやりとりです。《こども誰でも通園制度》なるものを国が実施しようとしてますが…本来は保育園って親が仕事をしてる間に見れない子供を預かる場所です。なのに働いてない人も預けられるとなったら誰にどんな影響が起きるのか?ちゃんと考え抜かれた制度だとは僕には思えません。文句を言うとかではなく、保育現場の実情をきちんと行政が理解した上で作られる制度なのか否かという話で、分かってないなら我々から伝えて理解して貰わないといけない。これは一つの例です。他にもそんな様な事が沢山あるんです^^あとは定期的に行政に提出が義務付けられている書類の準備等をしっかり対応する必要がありますので、そこですね」

保護者からの理不尽なクレーム的な話があるかと思いましたが、それよりも行政とのやりとりの方が大変なのですね。

「はい。教育方針は保護者の方それぞれの考えがありますからね。自分も親なので分かる部分がありますし、話し合いが必要な時はしっかり話し合う様にしてます」

逆に一番やりがいと感じる瞬間というか、嬉しい話のエピソードを聞きたいです。

「卒園した子供達が戻ってきてくれる時が嬉しいです!保育園としては巣立った子供達に明るく育って欲しいので元気かどうか知りたい。ウチは小学生・中学生になっても自分の故郷の様に戻って来てくれる子が沢山いるんです。毎年、夏のお祭り《夕涼み会》で卒園児+ご両親が集まるんですが、400人も来てくれるんですよ!そこで卒園児たちに再会して、成長した笑顔を見れる瞬間がたまらなく嬉しくて。最高なやりがいと言いますか…あの気持ちは言葉に出来ません。この仕事をやってて良かったなって思うんです」

親でも先生でもなく《仲間》になろうと接して来た子供達が、成長して戻って来てくれた時の事を話す岡部さんの表情がとても優しい。その時は先生でもなく仲間でもなく《成長を心から喜ぶ先輩》なのだろうなと感じます。

園長職に就いてから実現させた改革

2年前に園長職に就かれてから、今の立場でのやりがいについてお聞きしたいです。

「仕事のやり方をこうしましょう!と今までのやり方からガラッと変える事が出来ました。それが出来たのは園長という立場だからです」

・過去を一掃する働き方改革
・働きがいも改革
・岡部マネジメントの原点

過去を一掃する働き方改革

「日本の保育園はサービス残業が多くて、ほぼ毎日夜8時から遅いと10時までやってます。ウチもそうでしたが昨年カットして全スタッフの残業時間をほぼ0にしました。行政から法律で決められている業務は最低限必要ですが、それ以外の部分で《何をやらないか》《やるとして、どこまでやるか》の線引きを徹底的に話し合って実行した結果、昨年からの退職者も0です。」

働きがいも改革

「どのクラスを誰が担任するかの配置決めを《全員の話し合いで決める》やり方に変えました。これまでは辞令を受けるのみだったので不満があっても従うしかなかった。ところが話し合いで決めるとなると、それぞれ希望がある中での妥協点が必要。とことん話し合った結果で決まる。すると自分達の意見で決めた事なので責任を持つんですよね。結果的に全スタッフが保育園全体の運営に意識が向く様になりました。他の保育園では絶対にあり得ない担任の決め方だと思います」

確かに初めて聞きました。それを岡部さんが考えてタタキ台を出して、まずやってみよう!と皆に打診して進めたという事ですね。

「はい。あとは冬の賞与査定の方法も変えました。今までは上層部が決めてたのですが、どうしても印象や感覚になってしまう部分もある。なので全員が無記名で頑張った人に投票する制度にしました。1票入ると支給額に加えて規定のパーセンテージがプラスになります。自分の名前を書いてもOKなので、大抵は自分に1票入れるんですが、他のスタッフに入れる人もそれなり居るんです」

それって本当に頑張ってる人への1票ですもんね。面白い!どれも組織を束ねた経験+柔軟な発想がないと思い浮かばないし、且つ実行する推進力もハンパないです。保育関係者だけじゃなく、チームを束ねる立場の全ビジネスマンに聞かせたいレべル!岡部さんのそのマネジメントスキルはどこで磨かれたものなのでしょうか。商社時代からでしょうか?

岡部マネジメントの原点

「思い返せば高校時代に生徒会長をやった事がきっかけかもしれません。高3の時に生徒会長をやったんですが、生徒会メンバーに皆で生徒会室の掃除をやろうと打診したら反発が多くて、誰も来なくなったんです(笑)悩みましたね~その時に《同じ生徒会に集まる人達の中にも色々な価値観や考え方ある》という事を実感して、彼らを取り纏めて同じ方向を向くにはどうすれば良いのか?が自分の中での任期中の課題でした。本当は卒業するまでに校則を変えたり文化祭を新しいものにしたりまで行きたかったけど、彼らと仲良くなるまでに1年かかって終わってしまいました。でも、どうすれば良いのか?を自分なりに試行錯誤した経験は今も活きてるのかなって思います」

間違いない!というか、そこまでの目的意識を持って過ごす高3なんてそんなに居ませんよ。常に能動的に考えてる。自分の高3なんて遊びたいかボクシング観たいしか無かったので^^いやマジで岡部さんハンパないっす。目から鱗とはこの事…!

ボクサー経験が活きている事

今のお仕事で、ボクサー経験が活きていると思う事は何かをお聞きしたいです。

・大作業をコツコツ継続できる忍耐力
・ここぞで発揮するストイックな集中力
・理不尽な事へのストレス耐性

大作業をコツコツ継続できる忍耐力

「このビルの建て替え時もそうなんですが、行政への提出書類の作成って本当に大変で。補助金の申請ともなると書類チェックが厳しいんです。建て替えの中でも老朽化と増築で書類を分けたり複雑だけど間違えられない。早朝のロードーワークとか他人に見られないけどコツコツやる作業の積み重ねが必要なボクシングに似てる部分があると思います^^」

ここぞで発揮するストイックな集中力

「書類作成にしてもスタッフ対応にしても保護者対応にしても、同時並行で進めなければいけない仕事が同じ時間に総集中する時があるんです。そういう時に集中スイッチがポンっと入るというか…ご飯を食べなくてもずっと仕事してられます。ご飯を食べない時期を過ごしたことがある人の特技?かもしれませんね」

理不尽な事へのストレス耐性

「商社時代に上司にガン無視されてもボクシングの減量に比べたら辛くもなんともないと思えましたし、そういう《根性》の部分は今も活きてますね。理不尽な事も時には有ります。それはどんな仕事でもある程度そうだと思いますが」

どれも凄く納得感があります。ボクサーのセカンドキャリアとして保育園長になり活躍されている岡部さんを知り、自分も目指そうと思う人も出て来るかもしれません。どんな人がこの仕事に向いてますでしょうか?

「子供が好きな人だと思います。細かいスキルや経験の話もありますが、まず根本の部分で。自分に当てはめて言うとそこが一番なんですよね。園児達の元気な笑い声を聞いたり、卒園児が戻って来て成長した姿を見れた時の喜びは何にも勝るものがあります。自分の子供が生まれる前は正直言って商社の方が向いてると思ってましたが、我が子を抱いて価値観が変わった事は大きいです。我が子と接するのが苦手な人ならこの仕事はマッチしないかもしれませんが、好きであればきっとやりがいを感じられる職業だと思います」

取材を終えて

岡部繁さんは《子供愛溢れる保育園長+超絶優秀な管理職ビジネスマン》です。

子供好きが根底にあるという岡部さんの言葉はその通りですが、組織を取り纏める園長というポジションは子供愛とはまったく別でのマネジメントスキル・人を引っ張っていく推進力が必要。

「ある時、我が子と一緒に居ない日曜を過ごしたのは何年ぶりだろうと思ったら12年ぶりだった」というエピソードも話してくださいました。卒園児達との再会がどれだけ嬉しいかを話す時の満面の笑み。深い子供愛をひしひしと感じたのですが、きっとそういうお方だろうと思っていたので、想像していた通りでもあります。

でも、組織長としての岡部さんの《仕事改革の手腕》がここまで凄いとは失礼ながら想像が及んでおらず…自分も仕事でプロジェクトチームを管理進行する際に悩む事があるので、岡部さんのお話の全てが驚きと感心のオンパレードでした。この記事を読んでくれてる管理職ビジネスマンの方もきっと同じ感想を持ってくれてるんじゃないかと思います。いや~こんな上司が居たらついていくわ!

現役時代の逸話から保育園長・岡部繁をがっつり知ることが出来て楽し過ぎる取材でした。セカンドキャリアもしくは転職先として保育園での仕事に関心があったり、園長職に関心がある方にとってとても有意義な記事に出来たと思います。岡部さんありがとうございました!

以上、拳人のセカンドキャリア#5 「優しく有能な保育園長 岡部繁の今」でした。

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